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カラフルな羽根をしたインコやカナリアたちが、いきなり立ち上がった不吉な気配にばさばさと限られた空間の中を逃げ惑う。人間の側とても、心境は同じこと。そんな まさかと。信じ難いにも程があるぞと。あまりに度が過ぎる驚きに、総身が凍ってしまった導師たちであったのは。三度目の強襲をかけて来たのが、選りにも選って。自分たちのお仲間で、相手側に囚われの身となっていたはずの白き騎士、進清十郎本人だったからであり。
「な…。」
相手方からの動きを、三たびの強襲を待っていた彼らではあったものの。それは、それを伝手にして、相手方の本拠への道を辿るため。そうして彼を救い出すためだったのに…何でまたこんなことになっているのかと。半ば混乱していて、咄嗟には身が動かせないでいた彼らであり。前回、強襲者たちの中に彼がいたのは、何かしらの咒で意識を封じられていたからだったが、
「…進さんっ!」
葉柱がその腕を差し渡すようにして庇い守りし、その存在。先の王の子であり光の公主、そして…進が命に代えてもとお守り申し上げていたセナからの、悲しげな呼びかけの声へも、
「………。」
先日の鉢合わせの際とは打って変わって、表情も気配も動かぬまま。何の反応もないままの彼だと判る。
「額への“双炎紋”がないな。」
「ああ。それに眸が赤い。」
前回は安直な暗示で意識を封じられていた彼だとして、今回は違うということ。絶対服従を自らに課していたはずのセナからの、血を吐くような声にも反応しない。それだけ、ずんと深くて強固な意識支配を受けているらしく、
“…まさか、洗脳されたとか?”
何かしら召喚しようと構えし者への“殻器”としてしか見ていない対象ならば、当人の意志なぞ、むしろ邪魔かも知れず。人格枠だけを残し、記憶の方は抹消されているのかも知れない。ただ、
“それだと、奴らだとて制御しにくくならんのかな。”
人としての価値観だとか判断能力は、その人間が辿った生涯の中で積み上げた“記憶”が織り上げて形成するものだ。単なる人格枠に、融通までが利くとは思えず、それではなめらかな制御や統制も難しくはならないか? 何とは無しにそこまで考えてしまっていた蛭魔の意識を冴えさせたのは、
「…っ。」
進が鞘から抜いた大太刀の気配。間違いなくあの聖剣であり、それを手にしても意識は覚めぬとは、やはり手ごわい状態にあるようで。
“このヤロめ…。”
腰に差した太刀をなめらかに抜き放つ、何とも無駄のない所作には見覚えがあるのに。それを向けてはいけない相手だという“記憶”は欠落している彼なのだろうか。彼の立っている位置から、グロックスを据えていた花壇ブロックまでのコース上には、間の悪いことにセナが葉柱と共に立っており、
「待てっ!」
軽く体を傾けたそのまま、一気に駆け出す相手の意図の不吉さへ、こちらも弾かれたように蛭魔が身を躍らせる。何をおいても何を犠牲にしてでも、セナの身には危害を加えさすまいぞと、手にした守り刀をその白い手のひらの中で回して逆手に握り、進の眼前へと立ちはだかるように飛び出しながら、振りかぶったその切っ先を思い切り振り下ろした蛭魔だったが、
「…と。」
ぎゃりんっと耳障りな、金属同士が咬み合う音が鳴り響き、
「悪いね。そいつの身に傷とかつけられちゃあ困るんだ。」
相手も逆手に握っていた、風変わりな武器の柄の間際。自分の手首すれすれに、だが、強靭な鋼の棒を差し渡すことで遮ることが出来た蛭魔の守り刀の切っ先を、片手だけにてようよう防いだ人物があって、
「くっ!」
自分と進の間に、いつの間にと総毛立って驚くほど、そんな気配のまるでないまま。だが、確たる存在感をもって、割り込んでいた男がいる。丁度、進の盾のような格好となったその青年は、確か再襲撃の場にもいて、一番に口の回っていたあの彼で、
「何せ大事な仲間だからねぇ。」
「違うだろ? 大切な殻器、寄り代様だから、だ。」
「………おや。」
意外そうに眸を見張って見せたものの、精悍なその顔がいかにも芝居臭くて向かっ腹が立つ。こちらがこの日数の間にどれほどのことを知り得ているのか、そのくらいは織り込み済みの周到さでいたはずと、蛭魔もまた判っていたからで。一方で、
「陽咒は危険かな。」
蛭魔の傍らを見事に駆け抜けた進へ、桜庭と葉柱が第二の攻勢を浴びせかけることとなったが。彼もまた仲間には違いなく、あまりに惨く損ねる訳にもいかないからと、ついのこととて戸惑いの影が立った。もしも負界の何ぞが降りている身なのなら、その存在を相殺するかも知れない相性の陽咒は危険だろうかと、桜庭が一瞬躊躇したのへ、
「いや…まだ何物も降りちゃあいまい。」
この砂時計を奪いに来たのはそのためだにって順番だろうからと、葉柱が太刀を抜き放つ。先程までセナへのレクチャーをしていたせいで、守り刀よりも大きいショートソードを装備していた彼であり、とはいえ、
「…判ってる。殺しはしねぇよ。」
自分の背に掴まったセナの小さな手が、ぎゅうっと導師服を掴みしめて来たことが、彼の心細くも切ないその心情をそのまま伝えて来たのへと、低い声音で応じてやる。
“…ったく、手のかかる騎士様だ。”
彼らの手前にはしなやかな猛獣が大地にしがみつくように低い姿勢で身構えており、間合いを詰めて来た相手へと、咆哮も勇ましく、容赦なく飛び掛かった彼だったが、
「…っ!」
そんなサーベルタイガーの鋭い牙を鮮やかな身ごなしにて躱し、グロックスへと手を延べる進であり。
「進さんっ!」
セナが決死の叫びを向けたのへも、
“聞こえてねぇな。”
表情さえ動かぬままに、ただ一点、グロックスだけを見据えているばかり。その前へと飛び出したセナへ、
「…っ!」
「なっ!」
それは正に、目にも止まらぬ一陣の風。一切無駄のない動きにて、流れるように振り上げられた剣。まるでそうであることが自然な反応であるかの如く、容赦のない一閃が小さな肢体へと袈裟がけに降りかかる。信じ難い光景へ、
「セナっ!」
「セナくんっ!」
こちらの陣営が全員が胸を凍らせ、だが、それへの反射もまた、凄まじくも素早くて。ドレッド頭の敵の男に力押しにての凌ぎ合いという格好にて封じられていた刃を、力を逃がすように横へと払ってそのまま見切った蛭魔は、その刹那、自分の手のひらを…こちらは故意に、軽く刃で切ってもいて。
《 鋼の楯っ!》
短く叫んだは、これでも詠唱縮化した召喚の咒詞。右の手のひらに滲んだ血を自分の顔へと掲げ、左の頬へと真っ直ぐなすりつける。そこに描かれる深紅の線が、何がしかの署名代わりとなるのだろう。返す動きでその手をセナへ、指差すように差し伸べれば、疾風の如き勢いにて、その指先から現れたかのような何かが勢いよく放たれて、
「…っ!」
セナの頭上へと一気に編み上げられたのは、茨の衝立。早回しの映像でも見るかのような素早さで構築された天蓋は、進の振り下ろした剣の切っ先を見事に弾いて、それと同時に砕け散る。
「…進さん。」
無事ではあったが、それよりも。自分へ剣を…敵意を向けられたことこそが、さすがに堪えたセナであり。間近になった彼の人は、覚えていたそのままの風貌容姿でいなさるというのに。いつだって自分を真っ先に見やってくれてた、あの優しい深色の眼差しが今は。他人でもそこまで冷たくはなかろうというほどに、堅く凍った色をおび。開いているのに閉ざされたままのよう。
「あ…。」
進の目的はあくまでもグロックスであったらしく。なのでか、セナへの二撃目はなかったものが、
「待ってっ!」
持っていかれては何にもならない。それに、このまま彼を行かせるなんて、出来っこないと。大きな手が砂時計を掴んで、そのまま踵を返した相手の大きな背中へ向けて。今度はセナの側が捕まえようという手を伸ばしたが、
「…。」
さすがは歴戦の勇者であり、背後からの気配へも油断はしないということか。こんな場合、正面からの敵へ以上に斟酌のないカウンターとなるのはセオリーで、
「チビさんっ!」
葉柱が素早く引き戻そうとし、その腹へ腕を回して後方へ、自分のほうへと引き寄せたが。そして、
「ガウッ!」
獰猛な野獣へと変化していたサーベルタイガーの聖鳥が、向き直っての再び、進の手元を狙って牙を剥き出しにして食らいつこうとしたために、的確にぶん回された剣は一瞬だけ、その尋をかすかに縮めたようでもあって。それでも、
「…あっ!」
剣の切っ先は、延べられていたセナの腕を掠めていた。
「セナくんっ!」
「チビっ!」
純白のシャツに見る見る鮮血の花が開く。吹き出す血潮に染まってのこと、大きく育つその花を、自分の首から引き抜いたスカーフで縛って押さえ、すかさず止血の咒を唱えてやる葉柱であり。手際のいい青年導師の懐ろに、すっぽり収まる小さな体が、こんな場面ではますますのこと痛々しい。だが、
「追ってくださいっ!」
自分のことより、今は。必死の表情がそうと言ってる。進を追えと。瞬時のこととて、ついセナをと見つめた皆だったが、肩越しに振り向けば、まだ、相手の背中が視野の中にある。きっと来たとき同様に、次界移動で塒アジトへ直行で戻る彼らなはずで、
「今 見失ったら、もう…。」
もう“次”はない。そうと言いたいセナなのだろう。今を逃せば…次の対峙で現れる彼は、もはや進ではなくなっている公算が高い。
“…進さん。”
表情薄き面差しと、正確無比にて冷徹な処断の多さから、戦場では“鬼神”とまで呼ばれていた彼だったと聞いたこともあったけれど。それは彼を知らないからそう見えただけのこと。本当はどれほど優しい彼かを知っている。小さき者には手加減が判らないと戸惑うほどに、不器用で純朴で、限りなく優しい人であり。セナを傷つけないためになら、自分はどれほど辛くても構わないと。当のセナから萎縮され続けたあの頃も、何ひとつ言い訳や取り繕いをしなかった人。あんなにも利他的な人を知らないし、
“もう、嫌です。”
その命をセナを守る盾にと捧げた彼を、あの時どれほど責めたかったか。セナにとっては何よりも誰よりも大切な愛しい人を、もう二度と失いたくはない。
「判った。」
しっかりと頷いて見せ、蛭魔があっと言う間にも彼らへ背を向けて駆け出している。それが当然の連鎖とばかり、先んじた痩躯を追い、すぐにも追いついた桜庭へ、
「何となれば進でも倒せ。」
蛭魔が低い声でそうと告げる。
「妖一…。」
傍らに見やったいつもの白い横顔は、だが、これまでになく堅く冷たい。そんなことをすればセナが悲しむ。なのに敢えて、そんな残酷なことを口にする彼であり。もしかせずとも、そんなセナからの憎しみをも、この金髪の青年は一手に引き受ける覚悟でいる。
「判らんのか? 闇の眷属を招くのがどれほどの脅威かを。しかもそれはあの、馬鹿ヤロ騎士様の身へと降りるのだぞ? チビにそんな奴の相手をさせたいか。」
もっとも虚無に間近き負界から召喚されたる存在。そんな化け物へは、光の公主でなければ歯も立つまいから、必然的にそんな戦いへとなだれ込むに違いなく。
「それは…。」
それこそ身も心も裂かれそうな戦いになることも間違いはなく。
「闇の者にその身を奪われたなら、セナに刃を向けたどころじゃなく、進はもっと罪を負う身となってしまう。それなりの戦いの後、たとえ無事にそやつを追い出せたとしても、周囲がそれはお前のせいじゃないと言っても、奴は頑迷だから聞くまいよ。奴ら二人をそんな惨い目に合わせたいのか?」
そうと諭して、だが、
「何もお前に押っ付けるつもりはねぇよ。」
手伝ってくれればいいだけのことだ、案ずるなと。そんな言い方をする蛭魔へこそ、
「馬鹿にしてんじゃないよ。」
乱暴な口利きをしながらも、いたわるような眼差しを向ける桜庭だったりする。
ややもすると物騒な、そんな言葉を交わし合う二人の導師が駆け去ったその後にては、
「カメ、ちーと退どいてな。」
傷ついた主人がよほどに心配なのだろう、先程までは、鼻の頭にしわを寄せ、凄まじい迫力で唸り、気魄あふれる攻勢にて進へと飛び掛かりもした勇ましくも恐ろしいサーベルタイガーが。大きさこそ猛獣のままなのに、大きな猫にすぎないかのように、きゅうきゅうと何とも頼りない声を上げ、葉柱の懐ろに抱えられたままのセナを覗き込んでおり。それを退きなと片手だけにて脇へ押しやり、
「お前も後を追いたいのだろう?」
「………え?」
大きな手のひらを傷の上、かざしてくれているままにて。だというのに、そんなことを言い出した封印の達人導師様。ここで待っておれと言われないか、だったらどうやって振り切ろうかと。そんなウズウズに身が落ち着かぬところをあっさり読まれたのかしらと、それで驚いたセナであったが、
「ここんとこのお前様の無茶は、実力や自信が追いついての無茶だからな。」
そんなせいで“歯が立つまいぞ”という理由では引き留められなくなっちまったと、いかにもな苦笑をその精悍な口元へと浮かばせて、
「荒療治だ、ちーと痛むが我慢しな。」
「あ、はいっ!」
少し浮かせてかざされていた手のひらが、シャツの上へ直に伏せられる。何やら口の中で咒を唱えていた葉柱が、
「吽っ!」
剛い声を放った瞬間、
「…っっ!!」
痛いなんてものじゃあない。もしかしてそこから腕がもげたかと思うほどもの激痛が、爆発するよな勢いで降りそそぎ。うぐぅっと歯を噛みしめて、思わずの事、手近にあった葉柱のもう片方の腕を鷲掴みにしたセナであり。
「痛てててて…。」
「あっあっ、すいませんっ!」
頭の上からの悲鳴へと、その原因が自分の…爪を立ててた手だと気づくまで、ちょいと間がかかってしまったのもご愛嬌。
「結構 力持ちじゃねぇか。」
「あやあや…。///////」
こんなことで褒められても(?)と、顔を赤くしたセナだったものの、
「あれ?」
自分が怪我をした側の手の甲を、ぺろぺろ舐めてくれているカメちゃんに気がつき、そして。
「…痛くない。」
乱暴な治療自体の余燼はもちろんのこと、斬りつけられた痛みも文字通り消え失せているではないか。肩越しに葉柱のお顔を見上げれば、得意そうににっかと笑い、
「言ったろ。荒療治だと。だが、効果は覿面だ。」
それと、
「今ので気絶しなかったということは、やっぱりお前様、かなり強くなってもおるぞ。」
後で聞いたが、大の男でも七転八倒するからと、四肢をそれぞれ2人がかりと頭と胴とで、合計10人がかりで押さえ付けねばならぬほどの乱暴な治療なのだそうであり、
『ひっど〜いっ!』
そんなこと一言だって言って下さらなかったと、どんな顔触れの中にて聞くこととなるセナ様なのやら。そんな二人が立ち上がったところへ、
《 公主様。ご無事でござったか?》
足元からの声がした。はっとして見やれば、そこには心配そうな表情をしたドワーフさんが立っており。その向背には、それが弟子なのか、数人の精霊仲間たちに掲げさせて捧げられし、鮮やかな青の象眼が柄や鞘にシャープなラインとなって走る、一振りの剣。やっとのことで鋳終えし逸品は、腰から下げるショートソードで、少し小ぶりなのはセナの体に合わせたからか。
「あ…。」
《 ささ、どうぞ。》
促されて手に取れば。先程 試しにと手にした剣よりもずっと軽い。意外そうなお顔になったセナへ、
「きっとそういうところでも、効果をなすのが聖剣なんだろうよ。」
だからと言って鮮やかに操れる重さでもないけれど。それでも今はこれを生かさねばならない、正に正念場。そっと鞘から抜き放てば、それ自体からも光が滲み出しているかのような、鏡のように冷たく輝く細みの刀身がそれは美しいばかり。
《 どのような効能が発現されまするかは、我々にも判りませぬじゃ。》
それほどに未知の神秘を帯びた剣だということであり、着ていた衣装のベルトに、下げるためのフックのような金具を、これは葉柱さんからつけてもらって、
「じゃあ俺らも行くぞ。」
「はいっ!」
体も万全、意気揚々。今度こそは遅れを取るまいぞと、力む表情も勇ましい。
《 城は我らがお守り申します。》
ドワーフさんたちのお言葉へ、お願いしますと頭を下げて、さて。見やれば…猛禽から本来の聖鳥の姿へと戻っていたカメちゃんことスノウ・ハミングさんが、その優美な翼を大きく広げ、自分の新旧の主人たちをその尋の中へと導き入れる。
「一気に飛ぶからな。着いたそのまま戦いかも知れん。」
「はいっ!」
もうもうどんな覚悟だってしてみせようぞと、それは凛々しくも顔を上げた公主様であり、そんな二人の姿が目映いばかりの光に包まれて、それから。温室の中から、音もなく消え去ったのだった。
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*さあさ、どうなりますことやら。
書き手側もドキドキではございますが、
テンションを高めるのがまた大変な種類のお話ですんで、
続きはもちっとお待ちを〜〜〜。 |